Selamat sore.
Comriap suo.
こんばんは。ヤマティ@KDKです。
11年前の2011年3月11日。
東北の宮城県牡鹿半島の沖で、日本国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0もの地震が発生しました。
その地震が引き起こした津波により、人にも、建物にも甚大な被害がありました。
その災害の名称は
東日本大震災
広島経済大学の興動館プロジェクトの一つである、東北支援プロジェクトは震災発生の翌年から活動を開始し、今年で10年目の活動となりました。
従来は夏休みの期間中に東北を訪れて、取材や施設訪問などの活動を行っていましたが、新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴い、昨年度と今年度は春休みを利用しての現地活動になりました。
今回の現地活動期間は3月10日(木)から3月13日(日)の4日間。
3月11日の追悼式の参加だけでなく、いつもお世話になっている方々への取材やご挨拶、震災遺構・伝承館の見学、福島大学災害ボランティアセンターの学生との情報交換会などを実施しました。
今回の活動のテーマは「学ぶ」。
現地に行ったメンバーは2名と、少人数ながら「学ぼう」「知ろう」という姿勢で毎日を過ごしました。
被災地の今を知り、これからの活動を考える。
メンバーたちに求められることがたくさんあることを実感した活動になったのではないでしょうか。
これからも引き続き、支援活動をしてもらいたいと思いました。
またお会いしましょう!
sampai jumpa lagi!
Comriap lia!
[おまけ]
紹介しきれなかった写真をどうぞ!
今回、取材をさせていただいた菊田栄四郎様との写真。
毎回、お話を聞かせていただいただけでなく、慰霊碑や記念公園など様々な場所にも連れて行っていただき、誠にありがとうございました。
気仙沼大島にある慰霊碑。
犠牲になられた方々へ手を合わさせていただきました。
臨時船ひまわり。
震災当時、昼も夜も物資や人を運搬するために、ひまわり号が危険を顧みずに航行したそうです。
気仙沼市復興祈念公園。
気仙沼を一望できる山の頂上にこの公園があります。
気仙沼市復興祈念公園からの気仙沼のまちなみ。
更地が目立っており、復興にはまだまだ程遠いと感じました。
菊田様に東日本大震災杉ノ下遺族会慰霊碑の近くまで送っていただいた後、途中の海岸線。
震災時には無かった背の高い防潮堤が延々と続いていました。
東日本大震災杉ノ下遺族会慰霊碑で行われた追悼式に参加し、発災時刻に全員で黙とうしました。
2月に開催したオンライン講演会に出演いただいた、気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館の佐藤健一館長にご挨拶しました。
「わざわざ来てくれてありがとう。」
と嬉しそうにおっしゃっていただきました。
宿泊した亀山荘玄関にて、取材をさせていただく予定だった小松 仁さまとその奥様との写真。
急遽、予定が合わなくなったため、挨拶だけと宿泊先にお越しいただきました。
亀山荘の方々との写真。
「10年間。この旅館に来てくれるのは東北支援プロジェクトの学生さんたちだけです。遠いのに来てくれてありがとうございます。」
と、感謝の言葉をいただきました。
災害当時、宿のご主人も災害対応をされたそうです。
「電気も水もない状態の当初は、この世の終わりだと思った。でも、不謹慎かもしれないが、朝日が昇れば起きて、日が暮れると眠る。昔の人たちはこんな生活だったのかと思うと、少しは気が晴れました。」
とおっしゃられました。電気も水もない。悲しい災害対応。そんな中でも楽しいと思えることを見つけようとされる姿が想像されました。
宿泊先の亀山荘がある亀山は国立公園です。
震災後の火災で山火事があり、頂上の展望台の周囲の木も燃えました。
木の芯まで燃えた切り株を見ると、山火事の凄まじさが想像されます。
幸か不幸か、山火事の後、木が無くなったので、展望台から周囲が一望できるようになりました。
素晴らしい眺望だったので、気仙沼大島に行く際は必ず亀山に行ってみてください。
気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館の写真。
元々は高等学校でした。その校舎の4階まで津波が押し寄せたことが分かる震災遺構です。
3階の教室に飛び込んできた車。何台も折り重なっている車を見ると、津波の恐ろしさがよく分かりました。
福島大学の災害ボランティアセンターの学生たちと先生とで、情報交換会を実施しました。
復興支援住宅で生活する方々へ寄り添う活動。全国の子ども達を集めてキャンプを実施して、福島の今を知ってもらい。その素晴らしさを地元に帰って広めてもらうための活動など、多岐に渡る活動を教えてもらいました。
担当の先生からは
「これからは防災、減災に加え、備災(災害に備える)、認災(災害は来ると認識する)が必要になってくると思っています。」
とおっしゃられ、確かにそうだと勉強になりました。
なによりも、学生同士のつながりが生まれたことが福島大学訪問の成果ですね。
これからの活動についても、連携が生まれそうな気配があり、期待大です。
以上!